In prase of shadow
ついに免許を取得するために山形県に缶詰め状態だ。
時の流れがゆったりで、12時前には寝る生活を3日ほど過ごした。
CFCF - Radiance and Submission (Di Album)
この3日で分かったのは自分の時間が失くなるのが少し苦だということ。
いまベットに横たわりながら左手に持ったタバコをくわえて音楽を聴いている。
3日連続、深夜に一度起きてしまう自分はこうして自分の時間を確保している。いやまぁ友達と過ごす時間もとても楽しいんだけど。
CFCFのRadiance & submission
最初のトラックの”in prase of shadow”は陰翳礼讃という意味だ。
この言葉に触れたのは今から5年も前の高校2年生の時。
清澄白河にある東京現代美術館で開催された「Future & Beauty 日本ファッションの未来性」。
4パートある中の1つ目の陰翳礼讃パートにある、コム・デ・ギャルソン、ヨウジヤマモトの服が着させられたマヌカンを眺めていた。
生前に起こった”黒の衝撃”から数十年が経過しているにも関わらず、力強さが残るその衣服に畏怖の念を抱いたことを覚えている。
しかし、力強さが埋め込まれているその対象に対し、同時に希望をも抱いていた。この展示は未来性に対し懐疑的なのではなく未来志向的であって、過去のアーカイブからどう未来へ発展していくかを考える。という主旨のものであった。
”陰翳礼讃”とは谷崎潤一郎の有名な随筆である。
電灯の無かった時代、西洋は可能な限り部屋を明るくするように努めていたことに対し、日本は陰翳を認めそれを利用することによりその中で生える芸術を作り上げたのだ。
現代において、川久保や山本が照らした陰翳は礼讃されたものになっている。一種の怖さも内包したその衣服は強さを伴って存在している。
もしかすると僕らにとって、”陰翳”を認めるには少々勇気がいることなのかもしれないし、それこそ怖さが伴なるのかもしれない。
しかし、痛みを以ってして進まないことには大きな希望は現れない。とも思う。
上のレビューでは80年代の日本との関連を用いて論を進めている。
ポストモダンに関してはまだ勉強不足ではあるが、大きな物語の凋落
(当時も格好をつけるために良く使われた言葉だという笑)やバブル経済の崩落から”失われた時代”に突入した日本は、その事実を認め歩んできた。”失われた時代”に生を受け、その”消失の時代観”が当たり前として20年弱生き、”聞かされた、閉塞感漂う現代”に体感としていまひとつ追い付いていない中で、”悟り世代”と揶揄される僕らですら理解していることである。
この作品に使われているアートワークは日本の洋画家 松田松雄のものである。Michael Silver(a.k.a CFCF)が偶然見つけたというこの作品。
白と黒。白の存在が黒を引き立てる。白という社会、人。松田氏はこの画の中の人に黒を用いた。天まで登る道にも伺える部分に用いた色は白だ。
調べるとこの画家は陸前高田市に性を受けた画家だという。奇しくも2011年に起きた大震災に大きな被災の対象になり、科学への不信感が益々加速した出来事とも重なる。カナダのMichaelが(またカナダだし1080pからもリリースしてたなんて聞いてなかった)ここまで知ってたとは到底思えないが、こうした偶然(それとも考えすぎか)の一致は大きく心を揺さぶるものとして自身の目の前に現れた。
シンゴジラが絶大な支持を受けている。東京に光が消え、大きなシンボルを目の前に思わず畏怖の念を抱く。
終盤にこんな台詞がある。
「日本はスクラップ&ビルドで進んできた」
東京に”滞在”する人々は沢山の陰を見る。僕らの世代ももちろんそうだ。SNSは陽に溢れている。しかし、陽を陽として見る事は不可能だ。陰の存在を意識せざるをえない。
いわゆる”悟り世代”の人間は賢くなっているとも思う。
陰を認め陽に向かって歩む。またはそこに留まる。そして力強さを纏う。
少し長く時間を使ってしまった。
明日は無線教習だ、、。
CFCFは単なるアンビエント/エレクトロニックミュージックでは無い。でも寝付くのにも最適(笑)
寝よう。
C.Eのパーティー行きたかったなぁ
同い年の彼ら。エモーショナル。